教育のセンス
デザインでは、‘センスがいい’とか‘センスがわるい’というコトバを使うことがある。‘造形のセンス’‘色彩のセンス’‘レイアウトのセンス’など、理屈ではうまく説明できないが、デザインの最適解に素早く到達する人と、そうでない人との‘何らかの差’があり、それをセンスの有無と言ってみたりする。
さて、話は「デザイン教育」である。10年間、大学での教育に携わってきて最近気づいたのだが、どうやら教育にも‘センス’というものがあるようだ。
「教育のセンス」の善し悪しは、授業の上手下手だけに限らない。課題設定や講評会のタイミングなどの授業設計とその運営、年間のカリキュラム計画や編成、担当する先生方の配置や授業のプロデュースなどなど、で‘教育のセンス’がおおいに‘ものを言う’ように感じる。特に情報デザインのような若い分野は、教育方法もおよそ理論化されていない分だけ、教育に携わる人の「センス」が、その教育の質を左右してしまうことが多いのではなかろうか。それだけ「人」に依存している部分が多いのだな。
この‘センス’というやつは、どうやら経験値だけでは決まらないようで、教育を本業としていない方々(プロのデザイナーなど)の中に、極めて優れた教育センスをお持ちの方がいらっしゃったりする。(教育が)本業なのではないかと見まがう方もいらして、大学の先生として教育(と研究)で給料をもらっている我が身としては、ただただ敬服するばかりである。
デザインの仕事と同様に‘(教育の)センスのいい人’といっしょに仕事ができると、問題点を即座に共有できて目標への道筋も明快、レベルの高い議論ができて、結果として質の高い良い教育ができる。こういう時は幸せを感じますね(^^)
・・・まぁ、稀に(?)その逆のこともあるわけで。。。現場では‘センス’で片づけるわけにいかないので、ちょっとシャレにならないんだけどね(汗)。
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